祖母のいた平成。ありがとう。ばあちゃん。

ばあちゃんとの思い出のバンダナ

ばあちゃんへ。
お別れのとき、ありがたく手紙を読ませてもらう機会があったけど、まだ書き足らないことが私にはたくさんあるよ。

ばあちゃんがつくしを一緒に取りに行ってくれたことも、
趣味の畑を手伝わせてくれたことも、
営んでたお店のことも、
飼ってた猫のことも、
犬のことも。
もちろん、可笑しなじいちゃんのことも。

全部が全部、私の中で大切な思い出だよ。

──わたしが最近ブログで昔のことや他愛もない日記を書くようになった大きなきっかけは、ばあちゃんだ。
ばあちゃんが天国に旅立った日から、いろんな記憶が蘇った。

作ってくれた焼きそばや、うな重おいしかったなぁとか、そういえば姉ちゃんって一時期ばあちゃんの家に住んでたな。とか、たくさんのことを思い出した。

そのどれもが、その日まで頭のなかに閉じこもってた。きっと、もう思い出せないような記憶もたくさんある。
当たり前にあるようで、ささいな出来事ほど忘れていってると思った。

だから。

当時感じたこと、
思い出、
瞬きするのも惜しいような一瞬、
くだらない日常とか、

わたしの過去の記憶や感情とかを含めて、少しづつこのサイトで1つ1つ日記に残していこうと思った。思い出をいつか忘れてしまいたくないから。

──ばあちゃん、あれって4歳~5歳ぐらいのときだったかな。連れてってくれたラーメン屋さん。

店の名前は覚えてないけど、当時ばあちゃんの家の前の道路から信号を渡った先にあったと思うんだけど、美味しくて何度か通ったよね。

一度コショウを入れようとしたらフタが外れてしまって、すごい量のコショウがどばー!ってラーメンに入ったことなかった? 歩いて食べに行って、ぶらぶら歩いて帰って。楽しかったなぁ。

そういや、ばあちゃんの家でいろんな遊びしたなぁ。
小さな頃、本を見たり、話したり、絵を描いたり。描いた絵、めちゃくちゃヘタクソだったと思うけど、ばあちゃんが「上手~!」って褒めてくれたこと、その当時の風景を今も思い出すよ。

トイレの前には飼ってた猫がよくいたよね。どんと構えた門番みたいな感じで。いつもトイレの前が定位置で寝てた。
ほんと、怖かった(笑)

ぜんぜんなつかないし、引っかかれたような記憶はないけど、なんせ怖かった。
でもクールな顔して、べっぴんさんだったよね。いやオスだったのかな?どうなんだろ。

それから私が小学2~3年生ぐらいの頃。じいちゃんが旅立ったとき。
涙ありで、なにより笑いがたくさんあったあの夜。じいちゃんは良い意味?でクレイジーな人で、そんなじいちゃんのお葬式は、どんちゃん騒ぎだったことを覚えているよ。

最近ねーちゃんが言ってたんだけど「もし今じいちゃん生きてたら…写真とか撮られてsnsで拡散されてたかもしれない……」って冗談で苦笑いしながら話してた。笑
ほんとそう思うよ。じいちゃん可笑しかったよね。

で、そんなじいちゃんの葬式のとき、ばあちゃんは、どんな様子だったかなぁ。優しく話しかけてくれたような気がする。いつも気さくで、凛としてて、優しいばあちゃん。

それから、ばあちゃんが飼い始めた犬のこと。
可愛かったな~。いつだったか。ばあちゃんが体調を壊したかなんかで預かってたことを思い出すよ。散歩したり、ベッドで一緒に寝たこととかあったな~。

そう、これは手紙にも少し書いたけど。
ばあちゃんが昔経営してたお店が地域の情報誌で紹介されたとき。嬉しかったな。
お店の外観写真が1つ。それにひとことのコメントが添えられてるというシンプルな情報が掲載されてる雑誌だった。

そのコメントを見たとき、ばあちゃんのお店のこと、ちょっとイジってるやん!笑 って思う感じの文面だったのを覚えてる。
でも、紹介されてること事態が、そのときまだ子供で小さかった私には「すごいすごーい!」って、嬉しかったんだよ。ばあちゃんを宣伝してくれることが、嬉しかったんだ。

そうそう大学に進学するとき。
なにかの会話で、これからの意気込みは~なんて話をばあちゃんにすることがあった。

私は、なんとなくのテンションで現状に満足せずに頑張っていきたい~みたいな事を言おうとしてたんだけど、その当時の私が持ってる言葉、選び方が稚拙で、「自分をなかなか認めようとせず、頑張りたいと……」とか言ったんだと思う。

それについて、ばあちゃんは別に流すでもなく叱るとかでもなく普通に疑問に思って、こんなこと言ったね。

「自分で自分を認めないで、だれが認めるん?」

って。

私は、いやそういう意味じゃないんだけど~とも思いながらも(ごめんね、まだ伝える能力も何も足りなかった)、その場はサラっと会話は終わったんだけど、ふいに言ってくれたその言葉が、ばあちゃんからもらったその言葉が、今でも強く残ってるよ。

とても大切な言葉。

本当にありがとう。
ばあちゃん。

それから。社会に出てからも、たくさん応援してくれた。
結婚して、子どもができて、いろんなことを、たくさん褒めてくれた。
新しい家族も、みんな大事にしてくれた。

ありがとう。

そのたびに嬉しい気持ちと、寂しい気持ちが出てきてた。

──それから。
会うたびに、少しずつ痩せていったり、目が悪くなったりして、ばあちゃんには、あと何回会えるのかな?って。そんなことをたまに考えるようになった。

まだまだ大丈夫とは思っていても、現実的にその日が来ることは決まっているから。
でも、やっぱり、まだまだ元気でいてよって思ってたよ。

その中で。今年。
正月。
みんなでばあちゃんに会いに行った。

年末年始におばあちゃんがだいぶん弱ってると話しを兄弟、家族でして「一緒に行こうか」となったんだ。今までと違う雰囲気を感じながら、おばさんの家にいるおばあちゃんに会いに行った。

意識はしっかりしてるけど、でも、明らかに様子が違った。
いつものように優しい表情が、さらに優しくなってて。なにもかも分かってるような表情をしてた。

姉は「まぁでも、まだ元気やから!」と言ってた。姉らしい。私もそう思った。どこかで受け入れたくない気持ちがあった。
その日みんな、一人一人おばあちゃんと話をしてなにかを思ったんだ。

──平成31年の冬。

ばあちゃんは亡くなった。天国に旅立った。

病院で、おばさんが話しかけてくれたりして、少しして、眠るように。
病気で苦しむようなこともなく、静かに眠るように息を引き取った。

すぐにみんな集まった。
ばあちゃんは綺麗な顔をしてた。本当に。優しい顔をしてた。

通夜でも葬式でも火葬場でも、みんなそれぞれに悲しんだ。久しぶりに会う親戚。いとこのお兄ちゃん。みんな、寂しいねって。たくさん涙を流して、ありがとうって。みんな、ばあちゃんが好きだった。

最後のお別れの時間
空は真っ青で。とても気持ちの良い青空で。

晴れやかだった。

おばあちゃんはおしゃれで、人を真っ直ぐに見る人で、美しい人。その日のそんな綺麗な空が似合ってた。
なんか、おばあちゃんらしいよな、って思った。

そして、お別れをした。

私が生まれた昭和の終わり頃から、祖母という存在は、ずっといて、

私が子供の頃なんとなく「みんなでご飯を食べると美味しいね!」って言ったことを、会うたびにばあちゃんが笑って話すのがお決まりみたいなものがあって、

いつでも着飾って、
素敵な笑顔で
優しい声をして、
優しい言葉をかけてくれて、
温かい手でぎゅっと握ってくれて

どれも思い出が詰まってる。

私が生まれて、平成の最後の年まで、ばあちゃんは、ずっといた──。

それら全てが、本当に大切な時間だよ。
ありがとう。おばあちゃん。

本当に、ありがとう。

あなたの孫の1人より。

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