ニュースで岡本太郎さんの『太陽の塔』が特集されていたのを見て、妻が言った。
妻「キミって、岡本太郎が好きだったよね?」
妻のそんな言葉で、私は恥ずかしく重ねてきた自分の歴史の1つを思い出した。
岡本太郎に出会った。
当時20歳。大学生の頃。
中二病や極フツーの高校生活を順調にこなし、私は着々と黒歴史を築きあげていた。
そんな私が岡本太郎氏こと岡本さんに初めて出会ったのは、ヴィレッジバンガード。通称ヴィレヴァン。大人も子供も楽しめる夢の巣窟。
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ある日、学校の帰りにヴィレヴァンに立ち寄り店内をウロウロしていた。
適当に気になった本を手に取り、何かトキメキを探しては(求めるものとちがう…)と元の場所に戻す。
そんなふうに暇をつぶしていたところ、私の目の前をスタスタと独特の雰囲気をかもし出す人が通り過ぎた。
その人はある棚の前に立ち止まり、一冊の本を手に取りすぐさまレジに向かう。
その光景がなんとなく気になり、私は同じ棚にあった本のタイトルを見てみた。
岡本太郎『強く生きる言葉』
これは1ページごとに岡本太郎さんが残した言葉が散りばめられている本だった。
本の帯を見ると、こう書かれてある。
岡本「芸術は爆発だ」
…。
これは運命かもしれない。
私はその本をレジまで運んだ。
それから家に帰り、20分ほどパラパラと岡本さんの本を読んだところで私は堪能した。
2年後。
岡本さんのことを忘れ、私は社会人として奮闘している中で一人暮らしを始めようと思い立つ。
そして引越しの準備をしている中、一冊の埃のかぶった本を見つけた。
岡本太郎『強く生きる言葉』
これは運命かもしれない。
そう思った私は、新しく住む家に岡本さんを連れて行くことにした。
引越しを済ませて、岡本さんを本棚の一番端のすぐ取り出せるところに置いた。新生活の始まりだ。強く生きよう。
それから私はなにか思うたびに本を手に取り、適当にページをパッと開いてはその日の言葉を探した。
「赤こそ男の色ではないか。」
こんな言葉が見つかったとき、私は赤色のベレー帽を買った。
岡本さんは、私の中で「今日の占い」のように「今日の言葉」を話してくれる人になった。
そして月日は流れ、いつの間にか本は開かれることなく本棚の一番端で出番を待ち続けた。
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現在。
今でこそ岡本太郎さんは素晴らしい功績を残したスゴイ人なんだと分かる。しかし建築になんら知識を持ち合わせていない当時の私は、本を開くと「なんか一文くれる人」だった。
彼の功績からは失礼かもしれないけれど、それが私の全てだったんだろう。
きっと私は、岡本太郎さんというアーティストを理解してる風な「私が好き」だったんだと思う。
こんな記憶を掘り起こして今日、私は彼を探した。
岡本さんは今どこにいるんだろう。
いつでも捜しているよ
どっかに君の姿を
向かいのホーム
路地裏の窓
こんなとこにいるはずもないのに
岡本さんはどこにもいなかった。
いや、本当は分かっていた。
結婚するときに妻が「この本、読んでないよね?」と、ブックオフで数十円に換金していたことを。
でも、今でも彼は私の中で生きている。あの輝かしい日々を、一層照らしてくれた思い出として。
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